トルティジータ・デ・カマロネス

文/写真 中谷伸一

生地サン・フェルナンドに建つカマロン・デ・ラ・イスラの銅像

 “パニッサ”が好きだった

「フラメンコと食」というテーマは、アーティストへのインタビューには欠かせない、地味だが重要なサブ質問の一つである。神がかり的なワザを魅せる彼らとはいえ、生身の人間。一体どんな食べ物を好むのか、ファンならずとも興味が尽きない部分だからだ。

 

今回の記事制作にあたり、不滅のカリスマ歌手、カマロン・デ・ラ・イスラ(1950~1992)が修行時代に足繁く通った、故郷サン・フェルナンドの名物レストラン「ベンタ・デ・バルガス」の店長、ロロ・ピカルド氏への古いインタビューを再チェックした。“テープ起こし”と呼ぶ状態の、録音を一字一句書き起こした原版をさらってみたのである。すると、まさしくカマロンの好物ネタから話がスタートしていたので、以下に抜粋する。質問者は筆者、回答者はロロ氏である。

――カマロンは何が好物でしたか?

「カマロンは、自分が生まれたカルメン通りや近くのアルセド通り周辺、カジェフエラ地区にあった食べ物が好きだったよ。例えば“ラ・パニッサ”とか」

――何ですか、それは?

「ガルバンソ(ヒヨコ豆)の粉に水を加え、練って固めて、ちぎって揚げるんだ。イタリア由来の食べ物だね。というのは、ここサン・フェルナンドには、昔、イタリアのジェノヴァからの船が数多く着いたんだよ。だからイタリア風なんだけど、カマロンはすごく気に入っていたね」

――中に挽き肉とか入っているんですか?

「いやいや。粉、水、塩だけ。空腹をしのぐ食べ物だよ。もう一つ、小さい海老に粉、パセリ、たまねぎを加えて揚げるだけ、というものもある。小さい舌平目のフライも食べていたな。

それにこの土地の煮込み料理。キャベツとガルバンソとインゲン豆と野菜を入れた典型的なモノだとか、魚のフライ、スープ、店特製のプッチェーロ(肉と豆のごった煮)。これらが主にカマロンが食べていたものだ」

カリスマ・スターになる前の、若く貧しきホセ・モンヘ・クルスの時代である。ちなみに芸名に使われる「イスラ(島)」とは、以前サン・フェルナンドが、地続きでなかった時代の名残だ。現在はカディス市街から南へ数キロ下った、湿地帯に囲まれた風光明媚な街として知られている。

トルティジータ・デ・カマロネス

フラメンコ同好会「ペーニャ」を取材した後、会員の皆と夜の街に繰り出したことがある。場所は変わってカディス北部、大西洋岸沿いの街サンルーカル・デ・バラメーダ。当時生ける伝説であった90代の現役女性歌手、ラ・サジャゴ(1919~2015)のインタビューに協力して頂いた方々の案内であった。

「トルティジータ・デ・カマロネスは食べたことがあるかい? このあたりの名物なんだよ」

 

トルティージャは、かの有名なジャガイモオムレツのことだ。それに縮小辞が付いた「トルティジータ・デ・カマロネス(※カマロネスはカマロンの複数形)」とは? カマロンのミニオムレツ?? 脳内に疑問符を明滅させながら、大勢の客でにぎわうバルの中へ入っていく。

 飲み物はもちろん、サンルーカル特産のマンサニージャである。ヘレスのシェリーよりも軽い口当たりが特徴で、透けた薄緑色のグラス越しに出てきたのは……白い皿に載せられた「かき揚げ」??

トルティジータ・デ・カマロネス

勧められるまま口にすると、駅のホームや街中の立ち喰いスタンドで啜る、あの天ぷらそばの“かき揚げ”とうりふたつ!これがトルティジータ・デ・カマロネスの正体であった。

具材のメインはもちろん、カマロンである。カマロンは周辺一帯で獲れる小エビの総称で、薄ピンクに丸まった姿が無数に連なっている。ゆえに厳密に言えば、「小エビのかき揚げ」に相当する感じだ。色白で金髪だった天才少年は、細く頼りなげな風貌から、小エビのカマロンに喩えられたのだった。

 実は、前出のロロ氏のインタビュー中に出てきた「小さい海老に粉、パセリ、たまねぎを加えて揚げるだけ」とは、このトルティジータのレシピである。ゆえにカマロン本人も、この“かき揚げ”が好きだったことになる。日本のファンとしては、ちょっと嬉しい事実ではないだろうか。  (了)

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