追憶のパパス・アリニャー

文・写真 中谷伸一

追憶のパパス・アリニャー
~フラメンコと”食”の関係~

 “ルンペン”だったフラメンコ

 本サイトを運営する「アクースティカ」は、1983年創業のフラメンコCD専門店として、さ来年には40周年を迎える業界きっての老舗である。先日、社主の加部氏から「フラメンコと食」をテーマに据えた、本稿の執筆依頼を頂いた。実は同社ではスペイン関連の食材の販売も、少数だが手掛けているからである。とはいえ、そもそもフラメンコに根差した“食べ物”とは、本来一体何を指すのだろうか?

 フラメンコの原点であり、スペイン本国では最も尊ばれるカンテ(歌)の歌詞には、パエージャやトルティージャ、サングリアといった、誰もが知る定番メニューは、まずほとんど出て来ない。そもそも、カンテに食べ物が出てくること自体が少ないのだが、たとえば古いソレアの歌詞を拾いあげてみると、こんな具合だ。

「俺の食事の渋さったら! 朝はレモン喰って 昼もレモンだ」(¡Qué amargas son mis comidas, que limonsito por la mañana, y limones al medio día)

「ガルバンソ(ヒヨコマメ)みたいな大粒の涙がベッドに落ちた」(lagrimas como garbanzos me cayeron por la cama)

「お前が病気になったら、わが身を削ったスープを飲ませてやるよ」(en poniendote malita, cardo te doy de mis carnes)

 贅沢なご馳走とは無縁の、厳しく切り詰めた暮らしが浮かぶ“食”の断片。「フラメンコはアンダルシア、そしてスペインという国のルンペンだった」とは、偉大なるギタリスト、パコ・デ・ルシア(1947~2014)が、貧しかった幼少時を振り返った言葉である。パコ自身もアンダルシア南端の港町、アルヘシーラスの出身。日々ぎりぎりの生活を強いられるのが、当時の社会の最下層を形成していたフラメンコを取り巻く状況であり、たぐいまれなアートを産む土壌だったのだ。そうした困難な時代の日常や心象を映した、カンテに描かれる “食”の点景を、コロナ禍と闘い続ける今こそ、原点回帰の意味も込めてご紹介していきたい。

食べるパンが無くとも

 スペインの食卓において、パンは欠かせない主食である。「パン・コン・トマテ」はスライスしたパン表面にフレッシュトマトを擦り付けるポピュラーな食べ方。あるいはオリーブオイルを垂らしたり、「マンテカ・コロラー」というオレンジ色の自家製ラードを塗ったり。食パンよりかなり硬めのバゲットが主流だ。そのパンに、日本人の主食である“米”のイメージを当てはめると、わかりやすいだろう。

なかでも代表的なレトラ(詞)は「食べるパンが無くたって愛するわ」(te voy a querer aunque no tenga pan que comer)という一節。ブレリアの最後に歌われることが多いが、日本の慣用句「手鍋提げても」とほぼ同義で、好きな男と一緒に暮らせるなら貧しくたって構わないの意。「食べるパンがあるうちは愛するわ」(te voy a querer mientras que tenga pan que comer)という、まるで真逆な打算的ヴァージョンも存在する。

「みじめな奴は他人からパンを貰う人間さ、いつも顔色の良し悪しうかがって」(desgraciaíto de aquel, que come pan de mano ajena, siempre mirando a la carita, si la pone mala o buena)は、往時のフラメンコ芸人の境遇を彷彿とさせるフレーズ。夜っぴて酔客に奉仕する演唱をした挙句、宴会の主催者であるセニョリートと呼ばれるスポンサーの機嫌を損ねると、せっかくのギャラを取りはぐれることもあった。いよいよ困窮きわまった挙句に、戸口を巡って物乞い(pordiosero)する様子の暗喩かもしれない。

「アニキが居なかったら空腹で死んでたよ、パンひとかけらを必ず俺に残しておいてくれたから」(si no fuera por mi hermano, me hubiera muerto de hambre, nunca le faltó a mi hermano, cachito de pan que darme)は、万国不変の兄弟愛を歌っている。「あにさん、寒かろう」「おまえ、寒かろう」の台詞が涙を誘うわが国の怪談「鳥取の布団の話」(小泉八雲)を、久方ぶりに思い出した。

オリーブとシナモン匂う美女

ハエン県一帯に広がるオリーブ畑

 赤土の丘陵地帯にどこまでも広がるオリーブ畑。スペインはオリーブ生産量がダントツの世界一の国として有名で、フラメンコの故郷であるアンダルシア州は、ハエン県を筆頭にその一大産地である。つまみとして無料で供するバルもあるほど身近な存在ゆえ、歌詞にも頻繁に登場する。

「君の口が緑のオリーブだったなら、一晩中噛んで噛み続けるだろうよ」(Si tu boquita fuera de aceitunas verdes, todita la noche estuviera muele que muele)

 死後30年近い今も人気のカリスマ、カマロン・デ・ラ・イスラ(1950~1992)の’80年代のヒット曲「水のように」(Como el agua)のフレーズがよぎったファンもいるはずだ。あの歌詞は「君の黒い瞳が緑のオリーブだったなら……」と、「君の口」が「君の黒い瞳」に変わっているが、後続詞の流れから言って、原典はやはり「口」のほうだろう。カンテの大半はポプラル(Popular)という伝承詞を出発点に、枝葉は演者と時代と共に変節していく。

「黒人女はチーズの匂い、ムラータ女はオリーブ、未婚の白人女は熟れたパインさ」(Las negras huelen a queso, las mulatitas a aceituna, y las señoritas blancas huelen a piña madura)

 セビージャ出身のマヌエル・バジェホ(1891~1960)が、半世紀以上前の1959年に録音したブレリアの一節。ムラータは黒人と白人の混血女性のこと。南アンダルシアはアフリカや南米貿易の玄関口である性質上、さまざまな国の人種が行き交うため、このようなレトラが生まれる背景があった。

  美女礼賛に用いるのは、何もオリーブだけに限らない。古いミラブラスの有名な一節には、甘いデザートで女性に人気の「アロース・コン・レチェ」が登場する。

「君の歯ってさ、アロース・コン・レチェの米粒だね」(tienes unos dientes que son granitos de arroz con leche)

 レシピは簡単。牛乳と砂糖で柔らかく煮た米にシナモンとレモンピールで香り付けするもの。すり潰すわけではないので、牛乳を吸って膨らんだ米粒が、好きな女性の艶やかな白い歯を連想させるというわけだ。

なお、シナモン(カネラ)は、ヒターノ男女の芳香の象徴としても用いられ、カンテ・ヒターノの王の異名を持つマヌエル・トーレ(1878~1933)のシギリージャ「クローヴとシナモン(a clavito y canela)のレトラが最も分かりやすい。「クローヴとシナモンの匂いがしないヤツには、その区別はつけられない」(El que no huele a clavito y canela, no sabe distinguir)と看破しているが、まさに真理だろう。

郷愁誘うカラコーレス

初夏に道端で売られるカラコーレス(カタツムリ)

 踊り歌から発展し、サビのリピートが曲名の「カラコーレス」(caracoles)とは、カタツムリのこと。このカラコーレスの煮込み(カルド)は、初夏のアンダルシア名物で、殻つきのまま、種々の香草やニンニクが入った煮汁と供されるのが一般的だ。

ペーニャ(フラメンコ同好会)の建物に併設するバー・カウンターで、小さめのタンブラーにぎっしり詰まったカラコーレスを、ちまちまと唇で吸い出したり、楊枝でほじくり出したりして食べるのは、いかにも野趣に富んだ、昔のアンダルシア的な郷愁を誘うひとときである。値段も一杯150~300円程度で、いわゆる高級な“エスカルゴ”とはまるで別ものだ。

 現在よく知られる歌詞の中の主人公は、なぜか「雪と寒さに耐え、“焼き栗”を売る女」(Porque vendes castañas asada, aguantando la nieve y el frío)なのに、いきなりサビになると「カタツムリ(カラコーレス)」を連呼する展開を、不思議に思ったことはないだろうか。実は19世紀頃の詞にはカタツムリを売る様子があったらしい。語呂のいいサビだけが生き残る結果となったのは、原点は口承芸能、いわゆる口伝え文化のカンテ・フラメンコゆえに、当然のなりゆきと言えるのかもしれない。

追憶のパパス・アリニャー

フェルナンドと盟友たち。伴奏にモライート、パルマはホセ・ルビチ(左)とアリ・デ・ラ・トタ。2010年6月、ヘレスにて。

 メインテーマ「食とフラメンコ」を聞くなり浮かんだのが、“コンパスの王様”フェルナンド・デ・ラ・モレーナ(1945~2019)の「パパス・アリニャー」(Papas Aliñá)だった。この曲に惚れ込んだ筆者は、10年前ヘレスで直接本人にインタビューし、その一連の経緯を専門誌に掲載したことがある。大好物を礼賛するオリジナル詞のブレリアで、アルバム「ヘレス・デ・ラ・モレーナ」(’02)のラストに収録されている。

「ベルサもプリンガーも好きだけど、“パパス・アリニャー”のほうがいいのさ」(me gusta la berza y también la “pringá”, pero yo prefiero las “papas aliñá”)

「ベルサ」は豆と肉&チョリソ煮込み、「プリンガー」は豚肉や脂身(ラード)、チョリソ、ベーコンなど肉&臓物煮込み総称で、こってりした味わいが特徴である。色黒で恰幅のよい、ヒターノの親分的な風貌のフェルナンドのイメージにぴったり来る。

 では主役の「パパス・アリニャー」とは? パパスとはポテトのこと。意外にも、ポテトのシーズニング・サラダなのである。一口大に切った茹でジャガイモに、水にさらした玉ねぎ、みじん切りのパセリを和え、塩とシェリービネガー、オリーブオイルで仕上げる。ご母堂のマヌエラ氏のものは、トマトも入れた特別製だったらしい。

ヘレス仲間の爆発的なグルーヴに乗りながら「だって俺が大好きなポテトだぜ!」(porque son las papas que me gustan a mí)と血相変えて叫ぶ、いわば究極のナンセンスナンバーなのに、フラメンコの強烈な求心性を備えるのはなぜなのか?

じゃがいもと玉ねぎは、貧者の食卓に欠かせない、安価な野菜の代表格である。これが「ぶ厚いステーキ」や「具沢山パエージャ」のような贅沢料理なら、ファンはそっぽを向くだろう。生きるために喰う――フラメンコと食の関係は、突き詰めればそこに行き着く。誰もが親しむポテトサラダだからこそ、不滅の名曲たりえたのだ。

脱稿前夜、ありあわせの材料でパパス・アリニャーを作ってみた。ジャガイモを茹で皮をむき、タマネギを水にさらし、トマトを刻んで…。いつしかフェルナンドのブレリアを口ずさんでいる。なるほど、フラメンコと食とはこういう関係か、と改めて納得した。ちなみに翌日は全体がしっとり馴染んでさらに美味。どうぞお試しあれ。

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